Category Archives: Kaiju Faction

FORGET ABOUT BIG BRO 3

 第三話 すっごい速く描く少年

 じつは、クイックジャパンの2号か3号で、中村くんのこと書いてるんだよ。名前はぜんぜん出してないけど。街にさ、落書きしてる悪いヤツがいるっていう記事だったんだ。それはね、中村くんの後輩か、同級生の、児島(現・こじままさき)という人がいて。デザイナーで、あと《BD》っていうミニコミを作ってた人なんだ。彼が「面白い人がいる」って編集部に連れて来てくれたのね。そこで「落書きが得意だ」っていう話になって。この人には、落書きする才能があるってことが、わかったんです。「夜中に落書きしている、謎の少年がいる」みたいな触れ込みで、児島くんに4ページくらい書いてもらったと思うよ。

 そのあと・・93,4年くらいかな。コンビニでさ、ファインを立ち読みしてたのね。ハードコアの情報が、けっこう面白かったんだ。売り線は女の子のサーフィン情報なんだけど、おしまいの方にさ、当時でてきたDJとか、ハードコアの情報がいっぱい載ってたわけ。そこでさ、なんか、書評みたいなのがはじまって。たしか「緑色革命」とかさ、そういうのを紹介してたんだよね。高木完さんとスケシンが、ふたりでやってたんですよ。完さんが文章を書いて、スケシンが絵を描いて。それが、面白くて。シチュアシオニストみたいな感じですよ、まさに。ファインの、最後のほうだけ、そういう感じなんだ。それは、大野さんていう今、ワープの編集長の人がやってたんだと思う。

 1年間くらいやってたんじゃない。はっきりわかんないけど。とにかく、それがいちばん面白いよ。秘密結社っぽかった。「パンク対めんこ」とかいってさ(笑)。フィギュアが好きな人・・ヒカルさんとかと、対談みたいなことをやっててさ。すごいテキトー(笑)。字、少なくてさ。「あ、中村くん、こういうことやってんだ」と思ってさ。「デザインとかやるんだ・・」みたいな。靴の絵とか描いてたんだけど、すっごい、よかったよ。手書きの文字がいいんだよ。だいたい手書きなんだよ。すっごい速く書くみたい、ガ〜ッてさ。それと、あと同時にさ、あれですよ、《ラヴリー・マガジン》ていうさ、スケート・ボード・ジンみたいなのがあってさ。

 東京のストリートの雑誌だね。けっこうもってるよ。上野のムラサキ・スポーツで、買ってたんだよ。あれ、ムラサキ・スポーツで売ってたんだよ。ぼくはたまたま、アメ横だったんだけど。それとかさ、あと、藤原ヒロシさんがやってたさ・・・《ミルク》ってブランドがあるでしょ? 大川ひとみさんの。その《ミルク》の雑誌があったの。オールカラーで。それ、中村くんはあんまり、関係なかったかも。全部、ヒロシさんの友人がでてくる。《ID》っぽいな、とか思っててさ。本国版の《ID》とか、最初のころ、好きだったから、日本なりにそういうことをやろうとしたら、どうなるのかなと思って、《ラヴリー・マガジン》とかも、チェックしてたんだよ。そうしたら、そこにも、スケシンが変なマンガ描いててさ。宇宙戦艦ヤマトをパロディにしたみたいな・・・(笑)(赤田祐一・談)

RAMPAGE

LOVELY

涙の怪獣パーティー

FORGET ABOUT BIG BRO 2

 第二話 マンガになった少年

 そのときは会話しなかった。「何かヤバイやつがいるな〜」みたいなさ。格好はTシャツ着てるとか、シンプルな感じじゃないかな。あんまり覚えてない。当時さ、今よりもスケボーもってる人とか少なかったし、ツバキハウスみたいなところにスケボーもってくるって、ちょっと特殊な人だよね。「ストリート・カルチャーって、本当にあるんだ」みたいな感覚。

 で、なんで「スケートシング=目に力がある男」って判明したかというと、そのちょっとあとにさ、たぶん86年くらいだと思うんだけど、スタジオボイスでスケシンがマンガになってるんだ。彼が、下北沢でスケートボードやってるところが、マンガ化されてたわけ。その絵を見て、「あ、あいつだ!」ってわかったよ。同じ顔してるんだもん。「この少年は、ヴァイオレント・グラインドというところでバイトしてて・・」とか書いてあってさ。

 そのマンガを描いてたのが、岡崎京子さん。連載してたのかな。1ページだったよ。あの子も地元が下北でさ、ヴァイオレント・グラインドへ取材に行って、イラスト・ルポみたいな感じで。でもね、スケートシングって名前じゃなかったんじゃないかな。中村晋一郎だった気がする。だから「中村くん」て言っちゃうんだよね。でも、スケートシングって印刷してある名刺、もらったことありますよ。たしか《シーヴス》って事務所の名前が書いてあった。(赤田祐一・談)

FORGET ABOUT BIG BRO 1

 第一話 目に力がある少年

 存在を知ったのは、1985年くらい。飛鳥新社でポップティーンって雑誌をやってたんだけど。そのときツバキハウスっていうディスコがあったのね、新宿に。すっごい盛り上がっててさ。大貫憲章のロンドン・ナイトとか、スケーターズ・ナイトとかさ、スプラッター・ジ・エンドとかさ、ヘビーメタル・ナイトとか、毎曜日、題目を変えてやってたのね。面白かったから、「ツバキハウスの1週間」っていう企画を立てて、ポップティーンの巻末のカラーで、8ページくらいやったんだよ。大貫さんにインタヴューさせてもらったりして。ツバキハウスの裏口の、階段に座って、ミニ・インタヴューみたいのさせてもらったりしてたのね。そうしたらさ、何か凄いさ、目に力があるさ、目に力がある少年がさ、いたのね。スケボーもってさ、何するでもなくさ、たむろってるんだよね。それがさ、あとから考えたら、中村くんだったんだよ。(赤田祐一・談)