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CREAM SODA 11

 この本を作ることは、精神科医のカウンセリングを横目で見ているみたいでしたよ。それで、作り終えてみて、山崎さんが言ったのが、「ぼくは怪人20面相になりたかったんだ」って。これが、結論だったの。つまりさ、隠れ家みたいな店にしたり、ドクロのマーク作ったりさ。小学生のころ、江戸川乱歩が好きで、漫画とか描いてたんだって。『怪人20面相』はフィフティーズですよ(笑)。戦後だもん、あれ。年をとると、幸せとは何か、しみじみ考えるけど、クロって犬が走ってることなんだって。洋服屋もさ、最近、自殺してる人が多いんだって、身の回りで。すごく有名なブランドの社長が首を吊ったりとか、多いみたい、原宿界隈で。BIGIの人も買収されて、違う会社にいるでしょう。洋服屋は見栄の世界なんだって、いってたよ。つまり、見栄を張り続けた結果、商売が上手くいかなくなる。山崎さんみたいに、マニアに向けてコツコツやってた方がいいんだって。山崎さん、お金使わないんだよ。部屋着も安くて着心地のいい服で、コンビニでごはん買ってきて、ひとりで食べて、みたいな。冷蔵庫の調子が悪いんだけど、あと何年生きるか分からないし、新しいの買わないでおこうと思ってるんだよ、って。そういうかんじですよ。お金を使うといったら、タバコ銭みたいね。タバコ、好きなのね。ピンクドラゴンの入り口にも、自動販売機があるでしょ。山崎さんが買うためにある(笑)。犬の散歩のときに、タバコだけ買って、みたいな。そういうライフスタイルみたい。おふくろさんの教えで、「米びつ感覚」。とにかく、北海道の赤平の炭坑で、給料が入ったら、米を買いなさい、という。それだけあれば、人間は生きていけるんだから、という。これは、森永さんにとっても思想になってるんだよ。つまり、執着したらいけないっていう。森永さんの持論なんですけど、「拘る(こだわる)」って字がダメなんだって。漢字がよくないでしょ。「拘りすぎちゃったらダメだ!」って二人でいってるよ、お互いに。この本もさ、じつは、山崎さん、印税いっさい受け取ってないんだよ。森永さんに全部あげるって。「ぼくはあんまり、言ったことに責任取りたくないから」なんて笑ってたよ。でも、僭越ないい方だけど、森永さん、それくらいのことやってると思いますよ。山崎さんも森永さんのこと、愛してるんじゃないですか。(赤田祐一・談・終)

クリームソーダのブログ(アメブロでやってるっていうのがビビるんですが)で森永博志さんが言及してくれました。センパイありがとうございます

宝はいつも足元に

CREAM SODA 10

 この本でぼく(赤田)が個人的に好きなのはね、久保田二郎の登場場面。ブラックキャッツがレコーディングするときに、やり方を教えてあげるんですよ。久保田二郎って知ってる?植草甚一なんかの仲間ですよ。植草さんにジャズを教えた人なのね。「クボ爺」とかいって。森永さんは、一時期、成城学園のクボ爺の家に居候してたんですよ。『ポパイ』で一回、ピンクドラゴンの大特集したんですよ。そのときに、「グリーサーキッド」とかいって、グリースをいっぱいつけてる男の子は、アメリカではこう呼んでいる!とかいって、クボ爺が教えたらしいんだけど、本当に「グリーサー」っていうのかな?(笑)ジャズマンだからね、久保田二郎。最後は、下北の路上で死んじゃうんだよ。死因はよく分からないけど、孤独死なんだよ。久保田二郎の文章、よんだことないの?全部ホラなんだよ。おしゃれな石丸元章くんっていうか。面白いですよ。だけどね、今よめるのは、ゼロ。角川文庫の古本とかでは拾えると思うけど。著書は十冊くらいあるよ、でも絶版。大好きだよ、全部ホラ。アメリカのホラ話。ジャズライター。大橋巨泉なんかも尊敬してるみたい。批評じゃないんだよ、紹介。おしゃれな紹介。植草甚一にいちばん影響を与えたらしいけど。クボ爺、クボGとかいって。あとはね、深沢七郎の『東京のプリンスたち』って小説、よんだことある?よんだ方がいいですよ、絶対。あのね、喫茶店に不良がたまって、エルヴィス・プレスリーと原子爆弾の話してるってだけの小説。カッコいいんですよ、これ。『宝はいつも足元に』の中にも、喫茶店のシーンがいくつか出てくるんですよ。すごくビビッときたんですけど。伴ちゃんが死の床にいてさ、山崎さんが喫茶店で待ってる話とかさ。池袋の喫茶店でウェイターもやってたんだって、山崎さん。楽しくてしょうがなかったって。同伴喫茶でやってたらしい。ソファを探ると百円玉がじゃらじゃら落っこってる。一日の稼ぎよりもいいんだって。今は違うかもしれないけど、喫茶店ですよ。酒は出なかったと思うけど、ジュークボックスがあって。最新の音楽が流れてて。いつもいったら、だれかがいて、みたいな。サロン。喫茶店文化ってあったんじゃないかな。あと、スナック文化。スタバとかになっちゃったけどね。

宝はいつも足元に

CREAM SODA 9

 ニューウエーブとかパンクは過去にあったもので、発明されたものではない。インタビューしてるとき、こんな話がでたんですよ。つまり、山崎さんにとっては、エルヴィス・プレスリーがパンクなんだよ。だから、パンクが出てきたとき、まったく衝撃を受けなかったんだって。本の最後に「過去は前方にあり、未来は後方にある」っていう、南米の少数民族の考え方が出てくるでしょ。白人の宣教師の観念とまったく違うから、布教に失敗したっていう。あれが、山崎さんと森永さんの哲学になってるんじゃないですか。だから『宝はいつも足元に』の「足元」というのは「過去」なんだって、山崎さん、言ってたもんなー。この本をよんで、納得させられたら、シメたものなんですけどね。パリで『アメリカン・グラフィティ』を観てショック受けるんだけどさ、みんな否定的だったんだって。古いから。でも、オレだけはいいと思ったって。本当にフィフティーズが好きなんですよ。パンクの商品もあるけど、フィフティーズのフィルターを通してるでしょ。ブラックキャッツなんて、ドフィフティーズ。断言してたもん。「五十年代がいちばんいい時代だった」って。たしかに、五十年代の方が、クリエイティブなことやってる人の数が少ないんですよ、今より。本当に選ばれた人というか、優秀な人しか残らなかったのね。工芸製品とか絵画なんかにしても、多いですよ、いいものが。もちろん、山崎さんの青春だし。石原裕次郎にも憧れてたみたい。映画ばっかり観てたみたい。

宝はいつも足元に

CREAM SODA 8

 山崎さん、この本作ってから、どんどん元気になったのね。Tシャツ作ってるんだよ。『宝はいつも足元に』Tシャツ。少年が円盤を見てる、大瀧詠一の『ナイアガラ・ムーン』のジャケットみたいなイラストで。『宝はいつも足元に』っていうタイトルは著者が考えたんですよ。山崎さん、あんまり家から出ないんですよ。一日二回、犬の散歩。あと夜中に、一人で渋谷の街へ行くんですよ。散歩してたら、近所の人に「あなた、クールスのメンバーでしょ」とか言われて。「は、はい」とか曖昧な感じで、やり過ごすみたい。犬の散歩のコミュニティに、身分を明かさないで、溶けこんでるみたい。クールスとピンクドラゴンはね、微妙に関係あると思う。矢沢永吉がいたキャロルとピンクドラゴンは関係があって。キャロルの親衛隊だからね、クールスって。クールスはね、<グラス>っていう洋服屋が原宿にあって、そこの店員だったんですよ。館ひろしさんとか。『原宿ブルースカイヘブン』って本がでてたけど、ぼくはいいと思わなかった。館ひろしさんはね、キングコング(70年代に原宿にあった山崎氏のロックショップ)に、客としてしょっちゅう来てたみたい。なんでかというと、原宿で当時、唯一、クーラーがあったから。涼みに来てたみたい。今回の本で、ピンクドラゴンの建物や、山崎さんを撮影したのは、天才・三浦憲司カメラマン。早いんだよ、撮るの。三浦さんは、ずっとブラックキャッツ(クリームソーダの店員で結成したロッカビリーバンド)を撮り続けてたんですよ。山崎さんとも『GORO』とかで仕事して、三十年来の知り合い。あの建物、すごいよね。マイアミ・デコみたいな。山崎さんが、あそこにある卵のオブジェを、表紙に使ってくださいって。青い色は、ちょっとコンピューターで加工したと思うけど。デザイナーは、日本版『エスクァイア』のADで、ADC賞を受賞した木村裕二さん。この人も、北海道の人ですよ。松山千春、水谷豊も北海道の人ですよ。開拓精神とか、あるのかな。

宝はいつも足元に

CREAM SODA 7

 森永さん、この本以外、何もやってなかったかもしれない。いつもピンクドラゴンのことばっかり考えてると思うよ。週に一回は山崎さんと連絡とってるんじゃないかな。しかも四十年くらい。尊敬してると思うよ。永遠に。この本も、もう一体化してるところあるよ。山崎さんの語りの中に、森永さんの思想も、ちょっとだけ入ってるんですよ。でも、それは、バッサリ切っちゃったのね。じつは、西尾くんっていう、この本のモニターがいるんですよ。最初の読者。山崎さんの秘書で、二十三、四才なのかな。かれに若い人代表になってもらって。つまり、「これはボクの知ってる山崎さんと違う!」っていう部分があって。それは、森永さんの思想だったのね。「こんなムツカシイこと言わないんじゃないか」とか。でも、そのくらい憑依しないと、こういうのって、書けないと思ったけど。しつこいしね、森永さん。何回も聞きに行くしさ。一回、大失敗して、まるまるテープ入ってないときがあって。テープがおかしかったの。もう捨てたけど、そのテープ。寸くんが、幽霊っぽいって言ってたでしょ。それは、森永さんが憑依して、幽霊になって書いたんだと思うよ。願望も入ってると思うけどね。山崎さんは、こんな風に言語化できないもの。もちろん、嘘は書いてないしさ、本に書いてあることを言ってるんだけど、文章としては、ここまでまとまってない。山崎さんは、とにかく、ネガティブなことは一切載せないでくれって。そういうのダメだからって。だから、病気の話とかも聞いたけど、全部、削ったよ。ポジティブな人ですよ、山崎さんって。なんでもいい風に解釈するの。まー、ヘンな人ですよ、山崎さんって。ぼくもいろんな人に会ったけど、かなりヘンな人ですよ。最初はロッカビリーの偉い人だから、怖いイメージあったけど、そんなこと全然なくて。偉ぶらないの。部下にも呼び捨てとかしないよ。「くん」付け。最初に会ったのは、クイックジャパン創刊号で、ぼくが森永博志さんにインタビューしてるんですよ、50ページくらい。ピンクドラゴンを借りて、森永さんを撮影したんですよ。そのときに、山崎さんにご挨拶したんです。その次は、リトルモアですよ。リトルモアが『ドラゴンヒート』とかいう、エリック・コット監督の映画作ったでしょ。山崎さんをモデルにした映画なんですよ。パーティーをピンクドラゴンでやったのね。初めてピンクドラゴンの奥へ入れてもらって、ご挨拶したんですよ。そのときは、すご〜く、弱々しく見えた。病気だったのかもしれない。力がない、生気が欠けてる人みたいなかんじ。今のほうが、全然、元気ですよ。

宝はいつも足元に

CREAM SODA 6

 バイク便の兄ちゃんにテープ渡したら、ぼくと森永さんは渋谷や新宿のメシ屋へいって、メシを食うと。それから、飲み屋にいくと。元気な人だから、いろんな店を教えてくれて。夜っぴいて。例えば、<PB>っていう麻布にあるロック・バー。小さくて、雰囲気いいよ。『en-taxi』の人なんかもいるんじゃないの。ぼくらが行ったときも、亀和田武さんがいたもんなあ。フクチャンってマスターがいて。初代のプラスチックスの人。アナログ盤がいっぱい展示してあって。何回行ったことか。そういや、さっき、ハンバーグ食いに行ったらさ、福田和也さんと石丸元章くんが載ってるページが貼ってあってさ、「揚げ物対談で紹介!」とか書いてあったよ。<ランディ>って店なんだけど。おいしいですよ。<ドープクラブ>もよく行ったな。潰れちゃったんだけど、妖し~いね、カクテルを作る店。ホントに秘密クラブみたいなかんじ。アッシュっていうさ、アシュラ男爵みたいな顔したさ、すごいバーテンがいるんですよ。そのバーテン、いまはやめちゃったらしいんだけど。マジンガーZとかに出てきた、ああいうタイプの。かれが、ミックスナッツ・カクテルとかさ、十五種類か二十種類くらい入れて、カクテルを作るの。でもそれは、二時間くらい前に予約してないと、やってくれないんですよ。森永さん、いつもケータイで電話して。新宿御苑の<トンキン>って店もうまかったよ。中華。ちょっと辛いラー油系で麻婆豆腐が最高。もとレッドシューズの厨房にいた人が店長で。あと、並木橋の<有昌(ゆうしょう)>。ここはね、かまやつひろしの歌に出てくるっていう、由緒ある店。坂のぼって場外馬券売り場へ行く途中にさ、中華屋があるんですよ。昔からバンドマンに好かれてて。ピンクドラゴンからタクシーで行くんですよ。森永さん、タクシーばっかり使うんだもん。三月から十二月まで、いつも一緒にいた感じあるよ。

宝はいつも足元に

CREAM SODA 5

 山崎さんの臨死体験の記事をよんで、根本恒夫さんという人が、これ、本にしたほうがいいよって、進言してくれたんですね。この方は、来月から飛鳥新社の社員になるんですけど、小学館の社員だったんですね。『GORO』とか『サブラ』とか、いろいろな雑誌を作ってて。『GORO』でピンクドラゴンの特集、何回もやった人で。ウチ(飛鳥新社)の社長の部下だったんですよ。ウチの土井社長は、小学館にいたんですよ。根本さんは今、ちょうど六十才で、定年で小学館を辞めた人なんだけど、『団塊パンチ』のアドバイザーやってもらってたんですね。ぼくの先生、知恵袋というか。ぼく、六十才の人のこと、さっぱり分かんないから。いろいろ聞いてたわけです。
 本を作りはじめてからは、週に一回、三時間くらい、インタビューしてた。なにせ六十四年の人生を聞くわけだから、一回じゃ終わらない。毎週、水曜日の三時からってことに決めて。山崎さんは、昼の二時くらいに起きる人らしいのね。夜中、起きてて。森永さんとぼくで、インタビューしに行くんだけど、森永さんって、とにかく早く原稿を書きたいんですよ。話を聞きながら、頭が高速回転してて。ピンクドラゴンに、バイク便を呼びつけるんだよね。すぐにテープを渡すわけ。テープを書き起こしてくれる女性が目黒にいて、その人の所へ持っていってもらうわけ。その女性も、ものすごい早くて、その日にアップするんです。3時間テープなら3時間で起こして、森永さんへファックスで送るわけ。で、ダーッと書いて、二日くらいでぼくにファックスがくる、みたいな。でも、森永さんは、もっと書きたいの。もう、七冊も八冊も、山崎さんの本を書いてるんだけど、まだ書きたいの。これだって、最初の原稿は四百枚くらいあったの。それを、二百五十枚くらいに減らしたの。あんまり厚くなっちゃうと、定価に反映するから。大好きなんだもん、山崎さんのこと。今でも、ブログやってますよ。ピンクドラゴンのホームページで。それも、百三十回くらい。全部、この本に関することだよ。ぼくとしては、あんまり編集してないんですよ。知らないうちに本ができてた、みたいな。森永さんと山崎さんが、もう四十年来の、ツーカーというか。ぼくはエンジニアリングっていうかね。楽しかったけど、すごく。

宝はいつも足元に

CREAM SODA 4

『宝はいつも足元に』は、 不良少年少女のためのブティックを経営している山崎眞行の自伝である。この本は、かれが幽霊になって人生を回想するかのような、不思議な透明感に満ちている。その中に、コピー&ペーストしたくなるような名言が、いくつも散りばめられている。というか、タイトルだけで、ゴハン何杯かイケると思わないか。ということで、編集者の赤田祐一氏に語っていただいた(す)

 森永さんから、山ちゃんが臨死体験しちゃったらしいよ、なんて話、聞いてたのね。それで『団塊パンチ』という雑誌でインタビューをして、記事を書いてもらったのね。本の冒頭と、ほとんど同じですよ。その前にも、山崎さんと北原照久さん(なんでも鑑定団)で、サクセスフル・エイジングの話をしてもらったのね。北原さんは、大尊敬しているのね、山崎さんのことを。オモチャつながりじゃなくてね。森永さんが書いた山崎さんの物語『原宿ゴールドラッシュ』ていう本をよんで、大感動しちゃって、自分で『横浜ゴールドラッシュ』ていう本を書いたんだよ。『横浜ゴールドラッシュ』の中に『原宿ゴールドラッシュ』の初版本がでてくるわけ。「買い取ります!」って。五十冊買ったらしいんですよ。山崎さんが六十五才で、北原さんが六十才くらいかな。でも、クリームソーダ時代は、たぶん行ってなかったんじゃないかと思う。生き方とか、やり方とかが、すごい人だと思ったみたい。八十五年ですよ、『原宿ゴールドラッシュ』。ぼくも買いましたよ。ヘンな本だな、と思ってたけど。だって花のタネが本の付録についてたんですよ。「この種をまきに、原宿にきてください。春になったらきれいな花が咲きます」なんて書いてあって。『団塊パンチ』には、だれでも面白い人に出てもらいたかったんですよ。だから、この二人にピンクドラゴンで対談してもらったんです。北原さんの店<TOYS>も、フィフティーズだよ、明るい世界観。かぶってますよね、山崎さんと。不良性はないけどね。この特集も、『宝はいつも足元に』の伏線としてあったんです。
 森永さんの本は、いっぱいありますよ。『やるだけやっちまえ!』は、九十九年。イルドーザーがデザインやってるんだもん。あれに続く本ですよ、この本は。他にもいっぱいあるの、森永さんが書いた山崎さんの本。七冊か八冊くらい。『テディボーイ』とかは、いれないで八冊くらい。サーガのような感じで、山崎さんていう主人公を、森永さんが書きつないでるっていうか。今回はいちおう、自分で書いたという触れこみの自伝なんですよ。構成は森永さんだけど。臨死体験のところから始めよう、っていうのは決まってたの。『団塊パンチ』がでたとき、故郷の北海道の赤平から、三件くらい電話かかってきたんだって。小学校の同級生とか、四十年以上音信無かった人から、どうしたんだ、みたいな。それで、山崎さん、びっくりしたみたい。

宝はいつも足元に

CREAM SODA 3

 そのうちに、眼に映るのは明暗で分かれるふたつの平面的な世界になった。片側はちょっと暗く、片側は普通に明るい。その世界を見ながら、僕はこれが生死の分かれ目なのかと思った。そのふたつの世界を、僕の何かが右に行ったり、左に行ったり、ゆらゆら揺れている。揺れながら、あっ、こっちの暗い方に行ったら死んでしまい、こっちの明るい方に行ったら助かる、これが死ぬっていうことなんだと思った。
 恐怖? それはまったくなかった。どっちに行っても同じだなぁぐらいの思いしかなかった。それよりも、死というものからイメージしていた旅っていうものが、僕は縦だなと思っていた。あの世っていうくらいだから、こっちからあっちの方に行くっていう。あとは天に昇る、地獄に堕ちるっていう、縦の線の中にあると。魂があるとしたら、そういう旅をするんだと。
 それが僕の場合、横に並んでいた。生の側と死の側が隣り合わせに並んでいた。その世界を前に、僕は、どっちでもいいやって思ってた。ただ、自分が死んだら、いま飼っている犬はあとどうなるのか、そこに責任感じて、心配にはなったけど、死を前に思ったのはその程度だった。
 余命半年と言われたら…? どうでもいいと思う。人間が考えた価値観とかに、あまり興味がない。そういうの、人間が考えたことでしょう。死ぬって、さっきの夢みたいに、ひとりっきりになるわけだから。僕はずっとひとりで東京に四〇年ぐらい生活していたから、ひとりになることへの恐怖感が薄いのかもしれない。つるんでいても、常にひとりになりたいわけ。あるときから、社員旅行なんか、僕だけ行かなかったりする。楽だから。子供もほしいと思わない。もともと何かを残そうっていう希望はないから。
 僕が一番思ったのは、人生なんて、あっという間のことだなってことだった。全然、大したことない。こんな大したことないことに、なんであくせくしてるんだろうって。そう思って、新宿の病院を退院し、渋谷の自分のビルに戻ったら、前は旅行から帰ってビルの前に立つと、すごいもの作ったんだなとテンションがあがったのに、そのときは、あれっ、こんなちっちゃなものだったんだって意外だった。というか、病院から外に出てみたら、世の中が全部縮小されたみたく見えた。
 だけど、ちっちゃい生き物だなって思ってた犬が、帰ってみたらビックリするくらい大きな生き物に見えて、僕は不思議な旅から帰ってきたんだなとわかった。(『団塊パンチ』2009年2月号より、構成・森永博志)

宝はいつも足元に

やまざき・まさゆき 北海道赤平の炭坑町生まれ。「怪人二十面相」「クリームソーダ」「ガレッジパラダイス東京」など、伝説に残るカフェやブティックのオーナーを務め、三〇代で推定七〇億の財を築き、「原宿を作った男」と呼ばれ、その人生は映画化・書籍化されている。

CREAM SODA 2

 遂に、そのときが僕にやってきた。今年の10月、僕の体に異変がおこり緊急入院した。体全体が異常にむくみ、眼もやられ、睾丸がメロン大に腫れてしまった。病院に行って検査したら、心臓の弁に障害が見つかり、酸素を送る量が半分以下になり、腎臓が機能していないことがわかり、その日のうちに心臓の手術が行われた。入院したとき、僕の肌は木の幹みたいにガチガチになっていて、もう治らないだろうと思っていた。体の状態もひどかったし、病室の雰囲気も、何人も次から次と医者がやってきて、普通じゃないものを感じていた。
 手術は、そのあともう一回、大手術だった。それはものすごく費用のかかる手術で、病院側は、僕は体にタトゥーをいれてるし、つきそいの若い社員も全身にタトゥーをいれ、それが服からのぞいていて、いったいこいつら何者なのか、ちゃんと費用払えるのかって心配だったと思う。
 それも解決して二度目の大手術が行なわれた。そのとき、不思議な体験をした。あれは臨死体験だったのか。僕が裸になって手術室に送りこまれたとき、まず、すべてがコンピュータで動いてる部屋が『2001年宇宙の旅』と同じだなと思った。医者が何人もいて無言なのが、奇妙に感じた。
 手術中は眼をつぶっていて何も見えないはずなのに、僕はまるで立会人のように、手術のプロセスすべてをジッと見ていた。ペースメーカーが心臓に埋めこまれてゆく手術のこまかい動きをハッキリと見ている。盲目の状態なのに、見ている。(『団塊パンチ』2009年2月号より、構成・森永博志)

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