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CREAM SODA 1

 山崎眞行(氏の正式な肩書はクリームソーダ代表取締役社長。渋谷に店舗を構える不良少年少女達のためのブティック「ピンクドラゴン」「ミラクルウーマン」を経営する異色実業家である。昨年の秋、山崎さんは、都内の病院に緊急入院し、奇妙な体験をしたという。手術前と手術後の死生観を語っていただいた。

 自分の人生で起こることのすべては、ダメならもう一度やればいいやってずっと思ってた。変な欲もださないようにしてた。実生活のことで言えば、たとえばビルを建てるにしても、これ一回きりなんて思って建てるんじゃなくて、気に入らなくなったらまた建てればいいやって、建てることの感動なんてまったくなかった。
 お店も随分作ってきたけど、作って飽きたらすぐやめて、また新しく作ろう、商売も失敗したら、またやればいい、それが僕の口癖だった。その「また」が僕の人生の中心にあった。つまり、この世のほとんどのことは、人間が、欲がらみで都合よく決めたことで、どうでもいいことだと思ってた。それで結果的に商売もうまくいったし、挫折もなかった。
 ところが、そんな価値観が僕の中で根底からくずれ去ったことがあった。それは六十年代からずっと一緒にやってきた伴ちゃんが亡くなったときだった。いままでふたりでやってきたのに、相棒が亡くなって僕ひとりになって、これから先、どうやっていいのかわからなくなってしまった。そこにはもう「また」がなかった。結局、会社はつづけていたけど、僕は仕事も何もしなくなった。何もしなくていいと思った。そしたら、それはそれで、商売はうまくつづいていった。その経験をしてから、前よりももっと欲がなくなって、自然体になった。それは相棒の死がきっかけだったけど、そこには「また」がない。人が生まれた瞬間からもう絶対的に決まっている死というものがあって、その死には何かすごいことがあるなぁ、僕にもその時がやってくるってわかった。
 あるとき、夢の中で死の恐怖を体験した。夢の中に砂漠が広がっている。そこを僕ひとりが歩いている。生物がまったくいない世界。さまよっているうちに、三つ葉の草を見つけた。僕はうれしくなって、「ああ、生き物だ」って手で触れたら、その草は乾燥していて、パリパリとこわれてしまった。その瞬間、眼をさましたら、ものすごい恐怖の感情に襲われた。死の怖さを、その時、自分で知った。その体験は夢だったけれど、僕の人生の中で一番の恐怖だった。(『団塊パンチ』2009年2月号より、構成・森永博志)

宝はいつも足元に

FORGET ABOUT BIG BRO 3

 第三話 すっごい速く描く少年

 じつは、クイックジャパンの2号か3号で、中村くんのこと書いてるんだよ。名前はぜんぜん出してないけど。街にさ、落書きしてる悪いヤツがいるっていう記事だったんだ。それはね、中村くんの後輩か、同級生の、児島(現・こじままさき)という人がいて。デザイナーで、あと《BD》っていうミニコミを作ってた人なんだ。彼が「面白い人がいる」って編集部に連れて来てくれたのね。そこで「落書きが得意だ」っていう話になって。この人には、落書きする才能があるってことが、わかったんです。「夜中に落書きしている、謎の少年がいる」みたいな触れ込みで、児島くんに4ページくらい書いてもらったと思うよ。

 そのあと・・93,4年くらいかな。コンビニでさ、ファインを立ち読みしてたのね。ハードコアの情報が、けっこう面白かったんだ。売り線は女の子のサーフィン情報なんだけど、おしまいの方にさ、当時でてきたDJとか、ハードコアの情報がいっぱい載ってたわけ。そこでさ、なんか、書評みたいなのがはじまって。たしか「緑色革命」とかさ、そういうのを紹介してたんだよね。高木完さんとスケシンが、ふたりでやってたんですよ。完さんが文章を書いて、スケシンが絵を描いて。それが、面白くて。シチュアシオニストみたいな感じですよ、まさに。ファインの、最後のほうだけ、そういう感じなんだ。それは、大野さんていう今、ワープの編集長の人がやってたんだと思う。

 1年間くらいやってたんじゃない。はっきりわかんないけど。とにかく、それがいちばん面白いよ。秘密結社っぽかった。「パンク対めんこ」とかいってさ(笑)。フィギュアが好きな人・・ヒカルさんとかと、対談みたいなことをやっててさ。すごいテキトー(笑)。字、少なくてさ。「あ、中村くん、こういうことやってんだ」と思ってさ。「デザインとかやるんだ・・」みたいな。靴の絵とか描いてたんだけど、すっごい、よかったよ。手書きの文字がいいんだよ。だいたい手書きなんだよ。すっごい速く書くみたい、ガ〜ッてさ。それと、あと同時にさ、あれですよ、《ラヴリー・マガジン》ていうさ、スケート・ボード・ジンみたいなのがあってさ。

 東京のストリートの雑誌だね。けっこうもってるよ。上野のムラサキ・スポーツで、買ってたんだよ。あれ、ムラサキ・スポーツで売ってたんだよ。ぼくはたまたま、アメ横だったんだけど。それとかさ、あと、藤原ヒロシさんがやってたさ・・・《ミルク》ってブランドがあるでしょ? 大川ひとみさんの。その《ミルク》の雑誌があったの。オールカラーで。それ、中村くんはあんまり、関係なかったかも。全部、ヒロシさんの友人がでてくる。《ID》っぽいな、とか思っててさ。本国版の《ID》とか、最初のころ、好きだったから、日本なりにそういうことをやろうとしたら、どうなるのかなと思って、《ラヴリー・マガジン》とかも、チェックしてたんだよ。そうしたら、そこにも、スケシンが変なマンガ描いててさ。宇宙戦艦ヤマトをパロディにしたみたいな・・・(笑)(赤田祐一・談)

RAMPAGE

LOVELY

涙の怪獣パーティー

FORGET ABOUT BIG BRO 2

 第二話 マンガになった少年

 そのときは会話しなかった。「何かヤバイやつがいるな〜」みたいなさ。格好はTシャツ着てるとか、シンプルな感じじゃないかな。あんまり覚えてない。当時さ、今よりもスケボーもってる人とか少なかったし、ツバキハウスみたいなところにスケボーもってくるって、ちょっと特殊な人だよね。「ストリート・カルチャーって、本当にあるんだ」みたいな感覚。

 で、なんで「スケートシング=目に力がある男」って判明したかというと、そのちょっとあとにさ、たぶん86年くらいだと思うんだけど、スタジオボイスでスケシンがマンガになってるんだ。彼が、下北沢でスケートボードやってるところが、マンガ化されてたわけ。その絵を見て、「あ、あいつだ!」ってわかったよ。同じ顔してるんだもん。「この少年は、ヴァイオレント・グラインドというところでバイトしてて・・」とか書いてあってさ。

 そのマンガを描いてたのが、岡崎京子さん。連載してたのかな。1ページだったよ。あの子も地元が下北でさ、ヴァイオレント・グラインドへ取材に行って、イラスト・ルポみたいな感じで。でもね、スケートシングって名前じゃなかったんじゃないかな。中村晋一郎だった気がする。だから「中村くん」て言っちゃうんだよね。でも、スケートシングって印刷してある名刺、もらったことありますよ。たしか《シーヴス》って事務所の名前が書いてあった。(赤田祐一・談)

FORGET ABOUT BIG BRO 1

 第一話 目に力がある少年

 存在を知ったのは、1985年くらい。飛鳥新社でポップティーンって雑誌をやってたんだけど。そのときツバキハウスっていうディスコがあったのね、新宿に。すっごい盛り上がっててさ。大貫憲章のロンドン・ナイトとか、スケーターズ・ナイトとかさ、スプラッター・ジ・エンドとかさ、ヘビーメタル・ナイトとか、毎曜日、題目を変えてやってたのね。面白かったから、「ツバキハウスの1週間」っていう企画を立てて、ポップティーンの巻末のカラーで、8ページくらいやったんだよ。大貫さんにインタヴューさせてもらったりして。ツバキハウスの裏口の、階段に座って、ミニ・インタヴューみたいのさせてもらったりしてたのね。そうしたらさ、何か凄いさ、目に力があるさ、目に力がある少年がさ、いたのね。スケボーもってさ、何するでもなくさ、たむろってるんだよね。それがさ、あとから考えたら、中村くんだったんだよ。(赤田祐一・談)