Ultimate Healing 29
第二十九話 箱を開ける
ああ、ここまで辿り着いたね。よかった。ノープランでヒロ兄のことだけ考えていたから。どうやって終わるかなんて、考えていなかった。けっこうしんどいときもあった。よくわからないことも書いたけど、そうして、ヒロ兄について思い出していた。今回くらいはリラックスしていいよね、アーイ。いや、いいや。そんなことは。いちいち冒頭の挨拶のようなのを書くから、どうやって繋がってるのか、わかりにくくなるんだよ。なんだっけ。前回、カスバのバーテンダー、カラビ=ヤオ氏から、ぼくらは木の箱を受け取った。これだけでも、何の話だってかんじだけど。だれそれっていう。えーと、この箱は、五年前、田村くんがヒロ兄の指示で、東京駅でシチリアのマフィアから受け取るはずだった。しかし、あのころ、ヒロ兄は青いハチミツを舐めすぎていたため、ぼくは田村くんに「いかない方がいい」と助言した。それで、受け取ることはできなかった。われわれは、この箱の中に何が入っていたのか、何が入っているべきなのか、考えつづけていたんだと思う。それは、カラビ=ヤオ氏が預かっていた。かれは、箱をぼくらに受け渡した。そして、「中身は二人で決めなよ」といった。箱は何もないぼくの家の空っぽの本棚にしばらく置いてあった。ぼくと田村くんはすぐに開封しなかったんだ。重さをたしかめて、何度か揺すってみたりして、そのまま、別れた。それから、一週間くらい何も話さなかった。ヒロ兄の弟、タケイ・グッドマン氏にも連絡をしなかった。なぜなら、かれならば、ぼくらがどんな結論を出したとしても、ただ受け入れてくれるだろうことは、わかっていたから。ぼくは、一人でずっと考えていた。じつは、一ヶ月近くも前からずっと考えていた。あるときは、「土」だと思った。また、あるときは、シチリアのマフィアからの「手紙」かなと思った。そこには、何かおもしろおかしいことが書いてあるのだ。それくらいは、ぼくにも書けそうだった。例えば、こんな書き出しはどうだろうか。『親愛なるビッグ・パパへ いつも友情と東京の青いハチミツをありがとう、お陰で、ぼくたちは豚肉のように死んでいくことができます……』とかね。悪くないでしょ。それで、ヒロ兄の消滅について、小粋なタネ明かしのような文面が展開されるわけさ。どうだろう。ぼくは、このアイディアを、しばらく本筋として温めていた。ただ、なんとなく、違うのだ。なんとなく、そうじゃない気がしていた。ぼくはベンチャーキャピタルが、がみがみと口をだす会社にいるときも、心のどこかで箱の中身について思い巡らせていた。田村くんも似たような日々を過ごしていたと思う。あるとき、ぼくは家で洗濯物を干していた。あれは、午前十時だった。あれは、琥珀色をした陽光が差しているのに、木の実のような雨粒が空から落ちてくる、愉快な天気の日だった。ぼくは、居間と台所の境い目に渡した白い棒に洗濯物を干していった。ぼくはパンツが痛がるくらいにパンパンしてやった。シャツにも同じ仕打ちをしてやった。しかしシャツはしゃんとしたようだった。しゃんとしたら、また洗濯機へ戻り、次の獲物を取りだすのだった。このフローに入ったとき、ぼくはいちばん、自分が無心になっている気がする。面倒臭がり屋だけど、この作業はなぜかちゃんとやるのである。そのときに、箱の中身について、新しいイメージが湧いた。これでいいんじゃないか、という気がした。何より、自分にとって、それがいちばん嬉しいような気がした。どういうイメージかというと、つまり、箱の中には、ヒロ兄がいるのだ。小さいヒロ兄が。「ヒロ兄の縫いぐるみ」——これが、ぼくにとっていちばんしっくりくる結論だった。しかし、まったく、何が何だか、わからない。ヒロ兄が、わざわざシチリアのマフィアを経由して、田村くんに運んでもらい、ヒロ兄に、ヒロ兄の縫いぐるみを届けさせる?——しかし、なぜだろう、ぼくにはクリアに想像できた。それから、しばらくのあいだ、空っぽの本棚の木の箱を見つめていた。何日か経って、やはりぼくはそれでいいと思ったから、試しに田村くんにメールしてみた。昼下がりに、「何だと思う?」と一言だけ、英語でメールしておいた。夜は、涼しかった。通りは空っぽの洗濯機のようだった。くしゃみをしながら缶ビールを買ってきて、ぼくはオンラインになった。すると、田村くんがいた。グーグルトークのインジケータは緑だった。「ヤップ」「ヨザップ」と、われわれはいつものようにゲットーイングリッシュで話し始めた。田村くんはいった、「昼下がりにメールを貰ってから、また考えていたよ」と。「ふむふむ」とぼくは答えた。「カラビ=ヤオさんから受け取った箱の内側は、カラビ=ヤオ空間になっているはずだから……」と、かれはいった。田村くんは、次のように持論を述べた——「箱の中には、小さいヒロ兄がいたらいいんじゃないかな」——これを聞いたとき、掛け値なしで、ぼくは動揺した。こんなことがあっていいのだろうか。ヒロ兄にヒロ兄を届けるなんて、アブノーマルな発想に、別々に想像していていっしょに辿り着くなんてことが。気がつくと、ぼくは「君こそマイメンだ」と何度もタイプしていた。「君こそマイメンだ」と。田村くんは、次のようにいった、「ぼくはそう思ったんだ、だけど、これはループしてしまうことになるよ、それでもいいのかい?」と。「ぼくらは、ヒロ兄の思い出というトンネルから抜ける為にやってたんだよ、それが『アルティメット・ヒーリング(究極の癒し)』になるはずだったんだよ、トンネルが環状線のようにループしてしまうんだよ、それでもいいのかい?」と。「これは、愛らしい考え方だよ」とぼくはいった。「とても愛らしいよ」と。ヒロ兄をRIPしようと思って書いてきた。ヒロ兄をしっかりと埋葬しようと。しかし、ヒロ兄とずっといっしょにいたいのだ。ヒロ兄は死なない。ヒロ兄は何度でも蘇る。これが、ぼくと田村くんの結論なのだ。愛らしいじゃないか。これが愛らしくなくて、何が愛らしいというのか。ぼくは興奮していた。動揺していた。そして、箱をもって小躍りした。ダンスした。中には小さいヒロ兄がいるんだ。ヒロ兄にまた会える。「じゃあ、週末、いっしょに開封しよう」とぼくはいった。「また生まれるんだ、ヒロ兄ったら、なんて素敵な日になるんでしょう、ああ、君こそマイメンだ!」——なんてね。さて、じつは、たった今、今しがた、われわれは、カラビ=ヤオ氏の箱を開けた。まるでシュレーディンガーの猫。開けたら中身が決定する。金槌で蓋をぶっ壊した。すると、果たせるかな、そこにはヒロ兄がいたんだ!——小さいヒロ兄がいたんだ。ただ、読者のみなさんに、きちんと伝えておかなくてはいけないことがある。じつは、よく見たら、「ヒロ兄の縫いぐるみ」ではなかった。そうじゃなくて、箱に入っていたのは、「レゴで作ったそこそこ良くできたヒロ兄」だったんだ。つまり「レゴ兄」だったんだ。というわけで、次回、最終回です。
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- 6.8.10 / 1pm
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- Ultimate Healing
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