Ultimate Healing 24

 第二十四話 マルガリータ

 タケイ・グッドマン氏とドライブした帰り道、われわれは目黒通りにあるリノベーションされたホテル、クラスカで降ろしてもらった。一階のカフェは午前二時まで開いている。ぼくと田村くんは赤ワインのグラスとシーザーサラダを注文して今夜のことについて話し合う。煙草をどうぞ、とポケットからインディアン印の煙草をとりだした田村。ぼくはマッチに火を点けた。狼煙のように煙りを上げて、われわれはしばらく黙っていた。背中の大きく開いたドレスの女を眺めていた。「ヒロ兄について、いろいろわかったね」とぼくはいった。田村くんは、足を組んで黙ったまま、答えなかった。「いろいろわかったよね、よかった」ともう一度いった。田村くんはフォークをくるくる回しながら、こういった。「グッドマンさんは、ゲットーをよんでいるのかな」——粉チーズをかけた菜っ葉を食べながら、思わせぶりにいうのだ。「あの人は、よんでいるんだろうか?」「よんでるよ、感謝してるよ、っていってたでしょう」——すると、深刻な顔つきになって、「どう思っているんだろうか、迷惑じゃないのかな、ぼくたちがこんなことを始めてさ、ヒロ兄のことばっかり、インターネットに書いたりしてさ」——かれはときどき、そのときに考えなくていいことを考えて不安になるのを得意としている。勿論、だれにでもあることだろう。「もう十分、書いたんじゃないかな。ヒロ兄、ヒロ兄、書きまくったんじゃないかな」——ぼくは嫌な感じがして、「さっさと終わらせたほうがいいってことかい?」「いや、ぼくはよみたい、ずっとよんでいたい」「じゃ、いいじゃないか」「グッドマンさんとか、周りの人は、どう思っているのかな、ハラハラしているんじゃないのかな」「知らないよ、そんなこと」——不機嫌になった。ぼくと田村くんは見つめ合った。「なんで聞いたことを、全部書いちゃうんだよ」「何でもかんでもじゃないよ」「なんでヒロ兄について、あることないこと書くんだよ」「知らないよ」「なんで書くんだよ、バカ」——背中の大きく開いた外国人の女が、こちらを見ていた。尖った傘におっぱいが生えたような女だった。「だったら、絵を描くなよ、バカ」と、ぼくはいい返してやった。赤ワインのグラスをもう一杯ずつ、注文した。「あーあ、舐めたい、舐めたい!」と田村くんはいった。「青いハチミツ、本物のハチミツ、舐めたい!」と、威勢よくいった。「あんまり舐めると、イルになるんだ」とぼくはいった。田村くんは、フォークで菜っ葉をむしゃむしゃと食べながら、兵隊のように叫んだ。「あーあ、舐めたい、舐めたい!」——このあと、代金を支払い、ぼくの部屋へ帰る道すがら、かれは小声で質問してきた。「今夜は、泊まってもいいかな」「いいよ」——こうして、われわれは二人で何回目かの<マルガリータ>をすることになったのである。地酒の瓶を中心にして、ぼくと田村くんは、頭のてっぺんをくっつけるようにして、床に横たわっていた。「あの木が育たないって、なんだろうね」と天井に向かって質問した。すると、声が聞こえてくる。「本物のハチミツを舐めてばかりいると、病んでくるでしょう、だから、木の実を食べて治す」「なんの木の実?」「占い師が庭に植えた木は、一年中、木の実が実りつづけるんだって、ラジオでいってた」「それ、なんの実?」——「なんの実?」——答えがない。かれは眠ってしまったんだ。「ねえ、なんの実だよ」と、ぼくは起き上がった。かれは、すやすやと寝息を立てていた。ぼくは電話についているカメラで、これを撮影することにした。六枚、いいやつを撮って、インターネットに送ってしまったところで、目を覚ました。「ほら」と、コンピューターの画面を鼻先につきつけて見せてやると、田村くんは悲しそうな顔をした。隕石の衝突を受け入れた初期のほ乳類のような顔をした。「いいのが撮れたねえ」とぼくは赤ちゃんをあやすようにいってやった。かれは、鼻を鳴らして、背中を向けて横になってしまった。こちらは、鼻歌を歌いながら、ソファで歌舞伎の本をよみはじめた。ぼくはだれかが部屋にいると、よく眠れない性質である。男であれ、女であれ、かれらが寝息を立てているときに、一人で起きて何かしているのが楽しい。しばらくすると、「消してよ」と声がした。田村である。背中を向けたまま、懇願している。ぼくは気づかないふりをして、ページをめくっていた。「消してよ」「…………」「消してよ」「やだね」——すると、かれは勢いよく立ち上がり、決然と、「イトウくん、消してくれ!勘ちがいされるよ!」——こうして、ぼくはしぶしぶ、消したのである。正確にいうと、プライバシー・セッティングを変更しただけで、写真は存在しているのである。しかし、これらが見られなくなったことを確かめると、田村くんはまたフローリングに横になり、ころころと壁のほうへころがっていった。壁と床の境界線に鼻をくっつっけて、くんくんと匂いを嗅いでいる。「シチリアのマフィアがヒロ兄に届けたかった箱の中身って、何だろうねえ、何にしようかなあ」と、ぼくはのん気なことを尋ねた。「なんだと思う?」「わかんないよ、なんだと思うの?」「……たぶん、土だと思う」とぼくはいった。本物の木の実を育てるために、本物の水を探していたヒロ兄にとって、あと足りないものといったら、土だろう。塩からいシチリアの乾いた土を、富士山のふもとにある、小さくてかわいらしい農園に蒔いている、あの人の姿を思い浮かべた。田村くんはくるりとこちらへ回転すると、「ぼくはいま、土にまつわる本をよんでる!」と適当なことを奇跡のようにいった。「じゃ、土かもしれないね」とぼくは返答した。「うん!」と気分良さそうに答えると、かれはまた、すやすやと眠りへ落ちていった——。そのとき、電話が鳴った。ケルト民族が踊りながら吹いている笛のような音は、ぼくの電話。「もしもし」「ああ、ナオヒロックです」「こんばんは……」「ヒロ兄を埋葬する儀式って、何のこと?やってるの?」「いや、延期になりました」「ああ、そうなんだ、いや、何かと思って、オレの名前も書いてあったから」「今夜はやってないです」「うん、ヒロ兄にはお世話になったから……ちょっと、いってもいい?」——というわけで、あの夜の二人目の来訪者、マルガリータの三枚目の花びら、リアル・ナオヒロック氏を、われわれは迎えることになった。ああ、あれは三月の木曜日の夜のことだ。こんなに時間が経ってしまった!次回は、記憶を辿りながら、リアル・ナオヒロック氏が話してくれたとてもリアルな証言について、何とか書いてみようと思う。四月なんて初めから存在しなかったような異常気象の下、ここまでよんでくれたゲットーポッシーたちに感謝する。


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