CREAM SODA 5

 山崎さんの臨死体験の記事をよんで、根本恒夫さんという人が、これ、本にしたほうがいいよって、進言してくれたんですね。この方は、来月から飛鳥新社の社員になるんですけど、小学館の社員だったんですね。『GORO』とか『サブラ』とか、いろいろな雑誌を作ってて。『GORO』でピンクドラゴンの特集、何回もやった人で。ウチ(飛鳥新社)の社長の部下だったんですよ。ウチの土井社長は、小学館にいたんですよ。根本さんは今、ちょうど六十才で、定年で小学館を辞めた人なんだけど、『団塊パンチ』のアドバイザーやってもらってたんですね。ぼくの先生、知恵袋というか。ぼく、六十才の人のこと、さっぱり分かんないから。いろいろ聞いてたわけです。
 本を作りはじめてからは、週に一回、三時間くらい、インタビューしてた。なにせ六十四年の人生を聞くわけだから、一回じゃ終わらない。毎週、水曜日の三時からってことに決めて。山崎さんは、昼の二時くらいに起きる人らしいのね。夜中、起きてて。森永さんとぼくで、インタビューしに行くんだけど、森永さんって、とにかく早く原稿を書きたいんですよ。話を聞きながら、頭が高速回転してて。ピンクドラゴンに、バイク便を呼びつけるんだよね。すぐにテープを渡すわけ。テープを書き起こしてくれる女性が目黒にいて、その人の所へ持っていってもらうわけ。その女性も、ものすごい早くて、その日にアップするんです。3時間テープなら3時間で起こして、森永さんへファックスで送るわけ。で、ダーッと書いて、二日くらいでぼくにファックスがくる、みたいな。でも、森永さんは、もっと書きたいの。もう、七冊も八冊も、山崎さんの本を書いてるんだけど、まだ書きたいの。これだって、最初の原稿は四百枚くらいあったの。それを、二百五十枚くらいに減らしたの。あんまり厚くなっちゃうと、定価に反映するから。大好きなんだもん、山崎さんのこと。今でも、ブログやってますよ。ピンクドラゴンのホームページで。それも、百三十回くらい。全部、この本に関することだよ。ぼくとしては、あんまり編集してないんですよ。知らないうちに本ができてた、みたいな。森永さんと山崎さんが、もう四十年来の、ツーカーというか。ぼくはエンジニアリングっていうかね。楽しかったけど、すごく。

宝はいつも足元に

Leave a Reply

Your email address will not be published.