そのうちに、眼に映るのは明暗で分かれるふたつの平面的な世界になった。片側はちょっと暗く、片側は普通に明るい。その世界を見ながら、僕はこれが生死の分かれ目なのかと思った。そのふたつの世界を、僕の何かが右に行ったり、左に行ったり、ゆらゆら揺れている。揺れながら、あっ、こっちの暗い方に行ったら死んでしまい、こっちの明るい方に行ったら助かる、これが死ぬっていうことなんだと思った。
恐怖? それはまったくなかった。どっちに行っても同じだなぁぐらいの思いしかなかった。それよりも、死というものからイメージしていた旅っていうものが、僕は縦だなと思っていた。あの世っていうくらいだから、こっちからあっちの方に行くっていう。あとは天に昇る、地獄に堕ちるっていう、縦の線の中にあると。魂があるとしたら、そういう旅をするんだと。
それが僕の場合、横に並んでいた。生の側と死の側が隣り合わせに並んでいた。その世界を前に、僕は、どっちでもいいやって思ってた。ただ、自分が死んだら、いま飼っている犬はあとどうなるのか、そこに責任感じて、心配にはなったけど、死を前に思ったのはその程度だった。
余命半年と言われたら…? どうでもいいと思う。人間が考えた価値観とかに、あまり興味がない。そういうの、人間が考えたことでしょう。死ぬって、さっきの夢みたいに、ひとりっきりになるわけだから。僕はずっとひとりで東京に四〇年ぐらい生活していたから、ひとりになることへの恐怖感が薄いのかもしれない。つるんでいても、常にひとりになりたいわけ。あるときから、社員旅行なんか、僕だけ行かなかったりする。楽だから。子供もほしいと思わない。もともと何かを残そうっていう希望はないから。
僕が一番思ったのは、人生なんて、あっという間のことだなってことだった。全然、大したことない。こんな大したことないことに、なんであくせくしてるんだろうって。そう思って、新宿の病院を退院し、渋谷の自分のビルに戻ったら、前は旅行から帰ってビルの前に立つと、すごいもの作ったんだなとテンションがあがったのに、そのときは、あれっ、こんなちっちゃなものだったんだって意外だった。というか、病院から外に出てみたら、世の中が全部縮小されたみたく見えた。
だけど、ちっちゃい生き物だなって思ってた犬が、帰ってみたらビックリするくらい大きな生き物に見えて、僕は不思議な旅から帰ってきたんだなとわかった。(『団塊パンチ』2009年2月号より、構成・森永博志)
やまざき・まさゆき 北海道赤平の炭坑町生まれ。「怪人二十面相」「クリームソーダ」「ガレッジパラダイス東京」など、伝説に残るカフェやブティックのオーナーを務め、三〇代で推定七〇億の財を築き、「原宿を作った男」と呼ばれ、その人生は映画化・書籍化されている。